大治田町の地名由来: 旧地名は定かではありませんが、大治元年(AD1126)に現地名に改めたと歴史に記録されています。 治田御厨(みくりや)について: 建久の神領調査書である「官庁所知神領目録」には、三重郡下のところに「治田御厨」の記述があり、当大治田町のことと思われる。 この「治田」をなんと読むかであるが「はるた=長野県千曲市・奈良県高市郡・滋賀県栗東市」、「はった=三重県いなべ市・三重県伊賀市」があり、三重県(伊勢の国)では「治田=はった」と読んでいたと思われ、前述の大治元年(AD1126)に「大治田」と改め、「おおはった→おばた」と呼ばれるようになったのが自然である。(筆者の解釈)
大治田町の神社 神明社
分祀80周年記念 雅楽の演奏会
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この写真は SHARP Power Zaurus MI-506DC で撮影し、編集したものです。
神明社境内の一等水準点
この写真は FUJIFILM Fine Pix 1200 で撮影し、編集したものです。
蟹薬師密蔵院の由来: 昔々のある日、大治田の地に続く浜辺より、背のこうらに薬師如来様を乗せた大きな蟹が現れ、当大治田の地まで薬師如来様を運び息絶えました。 これを見た村人が集まって、この地にお堂を建て薬師如来様をまつろうと衆議していたところ、これを聞いてか、浜辺より背のこうらに砂を乗せた数万の子蟹が現れ、お堂の基礎を作った伝えられています。 本堂には、この薬師如来様と共に、薬師如来様をこうらに乗せて運んだ蟹がまつられています。 その後、大治田の人々は蟹を食べることは無く、大治田の地は蟹に守られて、火事の無い平和な村として栄えたと伝えられています。(現在でも、大治田町内の年輩の人中には、蟹を食べたことが無い人がたくさんみえます)
(ごの蟹はご本尊薬師如来様の台座の下にまつられています。)
伊勢七福神霊場巡り案内: 恵比寿神 土佛山 桑名市北別所156 大黒天 大福田寺 桑名市東方1426 毘沙門天 信貴山別院 四日市市生桑町毘沙門山 弁財天 密蔵院 四日市市大治田町 福禄寿 大聖院 四日市市日永2丁目11−7 寿老神 荒神山 鈴鹿市高塚 布袋尊 石上寺 亀山市和田町1185
日永の追分由来: 史跡「日永の追分にある鳥居」は、古くは桑名の「七里の渡しにある鳥居」と並んで二の鳥居といわれ、安永3年(1774年)に、伊勢出身の江戸商人が道しるべとして創建し、伊勢神宮の遷宮に併せて造営され、現在に至っています。 また、三重県史跡「日永の追分」には、浄水が噴出しています。