四日市(大治田町周辺)の紹介

おばた町と読みます

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東海道に宿場の制度ができて2001年で丁度400年になります。東海道には五十三の宿場があり、このうち七つの宿場が三重県内にあり、伊勢七宿と言われ、東から   桑名−四日市−石薬師−庄野−亀山−関−坂下 の順となっています。
四日市はこの東海道五十三次、第四十三番目の宿場町、また京、伊勢への交通の要路として発展してまいりました。 また、近年においては、太平洋戦争前、塩浜地区沿岸部に東洋一の設備を誇る第2海軍燃料廠が建設されましたが、昭和20年の空襲で全て破壊されました。
戦後、同地区は日本有数の石油化学コンビナートとして再建され、高度成長とともに発展し現在に至っております。
現在の四日市には宿場町の面影は殆どありませんが、私の住む大治田町周辺をみなさんに紹介します。
大治田町は四日市−石薬師の間の宿《日永にある 史跡日永の追分》より県道103号線(旧国道23号線−伊勢街道)を少し南進したところに位置します。

大治田町の地名由来:
旧地名は定かではありませんが、大治元年(AD1126)に現地名に改めたと歴史に記録されています。

治田御厨(みくりや)について:
建久の神領調査書である「官庁所知神領目録」には、三重郡下のところに「治田御厨」の記述があり、当大治田町のことと思われる。
この「治田」をなんと読むかであるが「はるた=長野県千曲市・奈良県高市郡・滋賀県栗東市」、「はった=三重県いなべ市・三重県伊賀市」があり、三重県(伊勢の国)では「治田=はった」と読んでいたと思われ、前述の大治元年(AD1126)に「大治田」と改め、「おおはった→おばた」と呼ばれるようになったのが自然である。(筆者の解釈)


大治田町の神社(神明社)の紹介

しんめいしゃと読みます


大治田町の神社、神明社は、寛文13年(AD1673)に創建されたと郷土史に記述されていますが、明治39年に発令された合祀令により、大正4年四日市市内川尻町の神社に合祀されました。
昭和2年、氏子のみなさんの努力により、川尻町の神社より現在の地に分祀鎮座し、本年(2007年)で分祀鎮座80年周年向かえました。
平成19年10月14日、分祀80周年奉祝大祭及び記念行事「雅楽の演奏・舞」が奉納されました。

大治田町の神社 神明社 

分祀80周年記念 雅楽の演奏会 

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この写真は SHARP Power Zaurus MI-506DC で撮影し、編集したものです。


神明社境内の一等水準点紹介

神明社境内の一等水準点 

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この写真は FUJIFILM Fine Pix 1200 で撮影し、編集したものです。


写真は神明社境内に設置されている一等水準点(No1458)です。一等水準点は、全国で約18000ヶ所設置されているといわれ、四日市市内には1ヶ所の基準水準点と8ヶ所の一等水準点があります。
神明社境内に設置されている水準点は、現在 34 55 37N / 136 36 10E の位置に設置されており、海抜は 5.1120mとなっています。
詳しくは、国土地理院の ホームページ(http://www.gsi.go.jp/) でご覧下さい。


大治田町のお寺(蟹薬師密蔵院)の紹介

かにやくしみつぞういんと読みます


大治田町のお寺、蟹薬師密造院は三重四国八十八ヶ所十二番札所(古くは北勢四群新四国第十番札所)として親しまれてきました。
境内には、薬師如来をまつる本堂のほか、弁天堂、地蔵堂、お稲荷さんがまつられています。
中でも、弁天堂は伊勢七福神霊場巡りの一つとして、参拝客が絶えません。

蟹薬師密蔵院の由来:
昔々のある日、大治田の地に続く浜辺より、背のこうらに薬師如来様を乗せた大きな蟹が現れ、当大治田の地まで薬師如来様を運び息絶えました。
  これを見た村人が集まって、この地にお堂を建て薬師如来様をまつろうと衆議していたところ、これを聞いてか、浜辺より背のこうらに砂を乗せた数万の子蟹が現れ、お堂の基礎を作った伝えられています。
本堂には、この薬師如来様と共に、薬師如来様をこうらに乗せて運んだ蟹がまつられています。
  その後、大治田の人々は蟹を食べることは無く、大治田の地は蟹に守られて、火事の無い平和な村として栄えたと伝えられています。(現在でも、大治田町内の年輩の人中には、蟹を食べたことが無い人がたくさんみえます)

(ごの蟹はご本尊薬師如来様の台座の下にまつられています。)
 

大治田町のお寺(蟹薬師密蔵院の弁天堂)の紹介

かにやくしみつぞういんのべんてんどうと読みます

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この写真は SHARP Power Zaurus MI-506DC で撮影し、編集したものです。


大治田町のお寺、蟹薬師密造院の境内には、弁天堂があり、弁財天がまつられています。
弁天堂は伊勢七福神霊場巡りの一つとして、バスツァー等、参詣客が絶えません。
伊勢七福神霊場巡りツァーは、三重県内にある下記七つのお寺を参詣し、押印を頂くもので、掛け軸と額の2種類があり、正月用の床の間飾りとしても非常に立派なものです。

伊勢七福神霊場巡り案内:
   恵比寿神   土佛山    桑名市北別所156
   大黒天    大福田寺   桑名市東方1426
   毘沙門天   信貴山別院 四日市市生桑町毘沙門山
   弁財天    密蔵院    四日市市大治田町
   福禄寿    大聖院    四日市市日永2丁目11−7
   寿老神    荒神山    鈴鹿市高塚
   布袋尊    石上寺    亀山市和田町1185


日永の追分紹介

 


三重県史跡「日永の追分」は、かっての東海道と伊勢街道、現在の国道1号線と旧国道23号線の分岐点に設置され、交通の道しるべとして、親しまれてきました。
写真に向かって右側が四日市、名古屋方面、左側が伊勢方面、写真「追分の鳥居」の裏側の道路を右から左に進むと京都、大阪方面となります。

日永の追分由来:
史跡「日永の追分にある鳥居」は、古くは桑名の「七里の渡しにある鳥居」と並んで二の鳥居といわれ、安永3年(1774年)に、伊勢出身の江戸商人が道しるべとして創建し、伊勢神宮の遷宮に併せて造営され、現在に至っています。
また、三重県史跡「日永の追分」には、浄水が噴出しています。

日永の追分 浄水の紹介


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この写真は FUJIFILM Fine Pix 1200 で撮影し、編集したものです。


三重県史跡「日永の追分」には、浄水が噴出しています。かって東海道、伊勢街道を旅する人のオアシスであったものと思われ、当時が偲ばれます。
我が家も伊勢湾台風で水道が断水し、この浄水のお世話になりました。それ以後、我が家の湯茶はこの浄水をいただいております。最近では、この浄水のファンが増え、朝夕には順番待ちの列が出来ます。